原点回帰

Waldstimmeさんのところで「原点回帰」という話が出た。Waldstimmeさんが高校時代に建築家を目指していたということを知って驚いた。僕もなりたかった職業が建築家だ。高校時代は勉強そっちのけで、倉橋由美子とか中原中也とかに嵌っていた。Waldstimmeさんは現代美術や現代詩に行っちゃってたとのことで、これはもううふふな世界(笑)それはさておき、クラシックをあまり聴かない(というか興味の対象にならない)理由を考えてみた。
小学校ベンチャーズ&GS、中学校ブラスロック、その後ジャズと音楽方面の関心は移っていった。職業上の理由(中学校・高校の頃、映画音楽のラジオ番組の台本を頼まれて書いてた)でスクリーンミュージックと米国のポップスも聞いていたし、ポプコン系も行っちゃたし、永ちゃんのCAROLも好きだし、日本のポップスに絶大な影響を与えたのは小椋佳荒井由美、SAS、ドリカムと信じてる僕だ(笑)
だがクラシックだけは聴かなかった。理由のひとつは家庭環境。家にはかなりのレコードがあったが、例えば「明治以来の歌謡の歴史」みたいなのもあって、維新戦争の「みやさん、みやさん、おんまのまーえにひらひらするのはなんじゃいな」が最初の歌謡曲らしいがそれとか「おっぺけぺ」とか、あまた多数の「唄」が時代順に収録されていて、これはもうクラシックの比じゃなく面白いわけです。
もうひとつは小学校の音楽の授業。NHKの全国コーラスコンクールで何度も金賞を取るような学校で、音楽教育に極めて熱心なのは良いのだが、クラシック音楽鑑賞と作曲ばかりやらされた。音楽鑑賞では聴く前に(確か装置はサンスイだったような気がする)延々と作曲家と指揮者と楽団と曲についての説明があるわけです。嫌になりますね。音楽を聴くときに、「音楽」以外の薀蓄が必要な(のでしょうか?本当に)のはクラシックだけだ。またあるとき、短調とは○で×でと短調の定義(んなあもんは忘れちまっていますが)の講義があったのち、短調の曲を書けという課題が出された。即座にその短調の定義はすべてクリアして音数の少ない曲を書いて教師に提出するとこっぴどく怒られた。ま、予測はしていたからいいんですけどね(笑)
そんなこんなでクラシックは苦手。また、それとは別に、解釈の自由はあるにしても「譜面再生音楽」をくだらねえと思ってる僕もいるわけですが(笑)
僕の独自の調査では、たまにはコンサートに足を運ぶクラシックファンは近畿圏で2万人、関東で10万人。日本全国でも20万人程度のマーケットじゃないかと思ってる。甲子園球場阪神戦4試合分だ。前述の作曲云々はともかく、薀蓄についてはそれはそれで好事家には喜びかもしれないが、その儀式が必須だとしたらスターターにはかなり高い障壁になる。「精神性」みたいなのが語られ始めるともういけない。駄目。僕はそれで死んだ(笑)マーケットが小さい原因じゃないかな?
クラシックは高級みたいなイメージがあるが演奏家はあらゆる音楽演奏家のなかでもっとも赤貧に近い。楽器かついで電車とバスを乗り継いで演奏会場に来るのはクラシック演奏家くらいなものだろう。どうにかならないものか。