蝶研出版の廃業

蝶研出版が年内で廃業と決まった。東のむし社、西の蝶研出版の西が消える。故小路嘉明さんが起こした蝶研出版は、日本産の蝶に関する月刊誌(蝶研フィールド)や会員誌(蝶研サロン)、採集案内などの書籍、採集用具、標本作成用具などの販売をしていたが、小路さんが亡くなって以後、事業は順調にはいかなかったようだ。

小路さんは京都大学蝶類研究会(京大蝶研)で活躍され、それが蝶研出版の名の由来ともなっている。私とは大学時代が重なっていたが、当時はネットを収めていた時期だったので、おそらくはキャンパスですれ違ったこともあったのだろうが話をしたことはなかった。今から思えば、四月の新入生のクラブ勧誘の時期に東大路に面した角にギフチョウを描いた大きな看板があったが、あれは小路さん達が作っていたのだろうか。その後、蝶を再開してから蝶研出版には随分とお世話になった。ヒサマツミドリの件で電話したときは随分丁寧に教えていただいたことを思い出す。

小路さんは、当時としては珍しいデータベースを駆使した採集地案内や採集時期情報を愛好家に提供し、遊び心満載の書籍を多数出版し、経営の安定のためだと思うが前記の情報を提供するかわりに有料会員システムを構築するなど、好きなことを事業とすることに成功した。虫屋のジャンルの天才革命家でありカリスマであった。

小路嘉明さんの死に加え、元々ニッチなセグメント対象のビジネスだけにインターネットの普及にはよるダメージも大きかったのだとは思う。インターネットの普及=個人の情報の発信=情報入手が容易に=従来型のメディアの地位低下だ。情報の収集と再配布をビジネスモデルにしていたが、情報を持っている個人は自由にネット上で情報を発信する。一度発信された情報の有料化は無理だし、それを収集して再配布しても、それには以前ほどの価値は無い。それよりなにより出版社を通さずに情報はネット上あるいはメールで広くやり取りされる。蝶研フィールドや蝶研サロンの部数が激減したことが経営難の大きな理由だと思うが、これはもう仕方が無いことだ。

あとを継いだ人も頑張ったのだとは思うが、茨木市の本社を留守にして沖縄の島に移住するなど、ビジネスの視点からみても不思議なこともあり、こうなることは予見できた。しかし小路さんが健在なら、大きく事業スタイルを変えて切り抜けたような気がしてならない。

蝶研出版が消滅することはとても残念。結局、蝶研出版=小路嘉明だったのだ。